アポロ13号の概要
1970年4月11日にアメリカの有人月飛行ミッションであるアポロ13号が打ち上げられました。
しかし、途中で事故に見舞われ、月面着陸を断念し、乗組員全員が無事に地球へ帰還するという奇跡のミッションとなりました。
今回は、その歴史的な出来事を詳しく振り返ります。
アポロ13号の搭乗員と目的
アポロ13号の搭乗員は、ジェームズ・A・ラヴェル船長、ジョン・L・スワイガート司令船操縦士、フレッド・W・ヘイズ月着陸船操縦士の3人でした。
アポロ13号の目的は、アポロ計画で3度目の有人月面着陸でした。
着陸地点はフラ・マウロ高地という小丘で、地質学的に興味深いサンプルを採集する予定でした。
アポロ13号の事故とその原因
アポロ13号は打ち上げから2日後、月に向かって飛行中に事故に遭いました。
機械船の酸素タンクが爆発し、電力と水が不足するという深刻な状況に陥りました。
爆発の原因は、酸素タンク内の電線が短絡し火花が散ったことでした。
電線が短絡した原因は、タンク内の酸素を減らすために電流を流した際に発生した過熱でした。
過熱が発生した原因は、タンク内のセンサーが故障していたために正しい温度を測れなかったことや、タンク自体が以前に落下した衝撃で傷ついていたことなどが考えられます。
アポロ13号の危機対応と帰還
アポロ13号は事故後、月面着陸を断念し、地球へ帰還することを決断しました。
司令船の電力消費を抑えるために、月着陸船を救命ボート代わりにして生活しました。
飲料水や酸素も節約しなければならず、寒さや飢えやストレスに耐えなければなりませんでした。
地球へ帰還するためには、月の裏側を周回して地球へ向かう軌道に入る必要がありました。
しかし、機械船の爆発で軌道がずれていたため、月着陸船のエンジンを使って軌道修正を行う必要がありました。
月着陸船のエンジンは月面着陸用に設計されており、長時間の燃焼に耐えられるか不安でしたが、無事に成功しました。
地球へ向かう途中、司令船と月着陸船を分離し、司令船だけで大気圏再突入を行いました。
しかし、司令船の電力が不足していたため、再突入時の姿勢制御や通信が困難でした。
また、機械船の爆発で司令船の熱シールドが傷ついていないか心配でした。
再突入時には通常よりも長い無線通信途絶期間がありましたが、無事にパラシュートが開き、太平洋に着水しました。
着水後、乗組員はヘリコプターで救助され、空母イオ・ジマに収容されました。
おわりに
アポロ13号は「成功した失敗」と呼ばれるだけあって、多くの困難を乗り越えて帰還した奇跡的なミッションでした。
乗組員や地上管制官は冷静さと勇気と知恵を発揮し、協力して危機を乗り切りました。
アポロ13号の事故は後の宇宙飛行計画にも多くの教訓を残しました。
アポロ13号打ち上げから53年が経ちましたが、今でもその感動や興味は色あせません。
裏話
アポロ13号の事故は映画や小説などで多く描かれていますが、実際には映像化されていない裏話もあります。
例えば、月着陸船を救命ボート代わりに使った際には、乗組員は尿や汗などで湿ったタオルやソックスなどを窓から投げ捨てて重量を減らしました。その際にスワイガートは「さようなら月」と言っていました。
もう一つの例は、再突入時にパラシュートが開くまでの間にラヴェルが「これから何か起こるとしたら何だろう?」と言って笑ったことです。その直後にパラシュートが開きました。
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